レッツ・コミュニケーション

自己目的化したコミュニケーションに
溺れることだけは避けたい。
かと言ってこれが真の(快い)コミュニケーションだと
言えるものもない。
その結果充たされないコミュニケーションへの
肥大化した欲求を腐らせていく。
ウザがられるくらいなら、
関わらないでおこう。
といった具合に。
コミュニケーションへの欲求を断てれば楽なのだろうけれど、
オタクはどうやら新人類ではなかったし、
ジョシコーセーもちゃんと傷付いていた
ということが分かってしまったゼロ年代
もとうの昔。
時代の流れにばかり気を取られていると、
足元が見えなくなっちまうぜ。
ポストモダン状況だからこんなに苦しいんだ、
って言われりゃ何となくそんな気もしてしまうけれど
でも江戸時代の農民の子だって、
多かれ少なかれ似たような孤独は感じていたんじゃないのか。
昔はよかった、だなんて一体何を根拠に言えてんだ?
という気もする。


そもそも何で俺はこんなに
コミュニケーションで躓いてるんだろうか。
誰とどんなコミュニケーションが取りたいのかという
理想みたいなもんがせめてはっきりすれば
今よりは脈絡なく悩むことも少なくなるんだろうな。