そんな奴、目の前にいたら本当にブッ殺してやる/君が死んだら、悲しくてやってられません

映画「ヒミズ」を観た。




中学生の頃に観たら死んでたなぁ、と思う。
親なんてマジでぶっ殺したかったし早く家出たかったし
学校行きたくなかったし死にたかったし。
今となっての笑い話も、
当時はまさに生き死にの問題。
だけれど大分、遠くに来てしまったなあと実感。


常に選択コマンドは「逃げる」の一択で生きてきた。
それでも、立ち向かう勇気もない癖に
我慢したり留まったり耐えたりする臆病よりはマシだと思った。
どうせ耐えられやしない癖に。
いずれ自分が壊れる癖に。
それでも「いつか」「誰かが」救いに来てくれるとでも思ってんだろうか。
アホらし。
そういう奴らの臆病よりは、
俺は遥かにマシだと思った。
何なら誇ってやったっていい。
誰にも俺を、臆病者とは笑わせない。
少なくとも、俺は今まで自力で俺を救ってきた。
自力で自分を救おうとしたから、
誰かが助けてくれたんだ。
きっと今居る友達も、
だから俺と付き合ってくれてるんだと信じたい。
俺は、彼らが自分で生きてるから、
彼らと居たいと思うんだ。
生かされてることにも気付かずに、
ただ生かされてるだけの奴はクズだ。
そこに感情は生まれない。
憤りも感動も味わうことなく死ぬんだ。
自力で生きてやしないから、
どんな物事にも無頓着で。
何をしたって実感がなくて。
俺はそれだけは、嫌だ。
俺の意思で生まれたんじゃないならせめて、
俺の意思で納得して死ねなきゃ割に合わない。
生まれさせられて、生かされて、
最後は殺されるだなんて真っ平だ。
だから俺は子を生まない。
生命を次代に繋ぐことが尊いとは思わない。
そんなことの為に生まれてきた訳じゃない。
俺はただ、俺が納得して生きられればそれでいい。
誰を救いたい訳でも誰を殺したい訳でもない。
ただ、俺は今俺が生きてるってことに、納得をしたいんだ。
それだけ。



そういうことを、思い出した。
ずっと忘れていたような気がする。
東京からも家族からも社会からも、
俺は随分遠くに来たつもりで、
逃げ果(おお)せたつもりで、
その実ここは地続きだった。
たかが600k東へ行けばそこは東京。
家族が居て帰る部屋があって友達が居て探せば仕事もあるだろう。
どこでだって生きていける。
どこもここと変わらない。
ここにはここの生活があって、
そこにはそこの生活があるんだ。
そしてどこでだって、俺はちゃんと生活していくんだ。
どこまで逃げてもきりがない。
でも、何に立ち向かえばいいのかもわからない。
それを時代の所為にしてばかりもいられない。
自分のケツは自分で拭きたいと、
いつだって望みはシンプルな筈なのに。




ヒミズを観た感想を書こうとして
取り留めのないことばかり書いてしまった。
けれど直接感想を書くよりも、
こういう文章を書きたい気持ちになった
と言った方がもしかしたら感想は伝わるかも知れない。
いや伝わんないか。




原作のヒミズは、
読んだ時期もあって中の中、
良くて中の上といったくらいの
俺にとって「ふつう」の作品だった。
だからむしろ映画の方が期待していた。
元より原作の「再現」なんてものを
映画に期待して観に行くようなことはしない。
原作を映画にするのなら、
そこには必然性がなくてはならない。
つまり何故小説は小説のままではいけないのか。
何故漫画は漫画のままではいけないのか。
何故「映画」にする必要があるのか。
原作のストーリーをただ映像でなぞるだけなら、
頭の中で働かせた想像力の方がはるかに美しくコストも安い。
わざわざ映画を観に行く必要はない。
CDを聴いていれば済むのに何故ライヴに行くのか。
小説を読んでれば済むのに何故映画をみるのか。
それはつまりそこに「ライヴでしか味わえない感動」、
「映画でしか見れない景色」を求めているからだろう。
要するに「付加価値」を求めてる。
その付加価値を観客にどう感じさせるかというのが
原作付きの映画の使命であり存在意義だろう。
だから、
わざわざ映画を観て「原作と違う!」と
文句を垂れることほど無粋なことはない。
当たり前だろう、原作と違うものが観たくて行ってるんだから。
少なくとも俺はそう。


そういう意味で、
この「映画」ヒミズは俺としては非常に楽しめた。
原作の設定を素材として、
上手く一つの映画(料理)として仕上げたと思う。
もちろん、その際に余分と感じる具材や、
火加減の強弱というものもあった。
けれど全体としては良かったと思う。
これが初の園子温作品鑑賞ということで、
殴ったり殴られたり刺したり泣かれたり泣いたり
と言ったビジュアル面での「痛さ」を
少し覚悟して観に行ったけれど、
ヒミズ」ではそれらは無難なレベルに収まっていたと思う。
それよりも、ラスト手前で
二階堂ふみ演じる茶沢さん(原作とは別人。でも、それがみたかった)
が、染谷将太演じる住田に
「君が死んだら、悲しくてやってられません」
というシーンがあって、
不覚にも俺はここで泣いてしまった。
一緒に行こうと言っていた友達は
免許の教習で来れなくなり、
一人で来ていたことをいいことに号泣した。
他の観客の迷惑にならないように、鼻はすすらないように。




泣いた、だけでは余りに安易で
その安易さを手放しで礼賛できるほどには
俺は大人でも社会適合的でもないので
後ほどウザッたらしくこの「涙」の理由について
言い訳を連ねたい気分がありますが
とりあえずまだ昼食ってないので今日はここまで。






余談に見せ掛けて実はこれが一番言いたかったことなんだけど、
ヒミズ二階堂ふみの魅力は、
個人的に害虫(=最盛期)の宮崎あおいをはるかに凌ぐ。
染谷将太の冷たい熱演も良かった。