思春期のワナ

子供の頃に好きだったもの、
たとえば駄菓子の味なんかを
今や覚えていないように、
思春期に好きだったものなんて
そのうちすぐに忘れるさ。
思春期っていうのはしばしば
一つの対象や価値に没入することを
倫理と履き違えるんだ。


「ずっと大好きだよ」


後から振り返ってみればそりゃ喜劇だけど、
困ったことに当人たちは至って真剣なんだ。
喜劇を演じてるつもりなんか微塵もない。
大人が何言ったって耳を貸さない。
他者の意見に耳を傾けることは、即ち堕落だ。


「うるさい、あんたとは違うんだ」


そして思春期は堕落を嫌う。
だから誰の意見にも耳を傾けない。
シンプルで良い。
悩みがない。
誰のことを言ってるかって、
俺の今を語ってるんだよ。






少年期は無条件に何かを信じることが倫理であり、
青年期は何もかもを無条件に疑う
―それはしばしば少年期に対する自己反省の帰結として―、
或いは不信の態度を貫くことが倫理であり、


「俺はあんたを信じない」


それらを通過して大人になるということは、
何を信じ何を疑うべきかの区別がちゃんと
付くようになるということだろうか。
無条件に対象に没入せず、
かと言ってニヒリズムに溺れもせず。
そうした態度を「成熟」と呼ぶのだろうな。
俺にはまだ早い。